【投稿日】2010年9月7日(火)
相生学院高校通信課に在籍する中村錬君が、播磨をつなぐ情報誌「SUNSUNあさひ」のトップ紙面に掲載されました。
中村君は中学卒業後「プロ選手になって、世界ランキング1位をめざす」と実家を離れ、相生学院高校通信課に在籍し、高校の勉強をしながら、韓国へテニス留学中。
韓国人選手と毎日練習を続けています。
以下、記事から抜粋です。
韓国南西部、金泉市にある「JSMテニスアカデミー」は、屋内外23面のコートを備える。
所属する選手は小学6年生から28歳までの男女25人。プロもいる。
中村君以外は全員韓国人だ。
一日8時間半の練習は、午前5時の起床直後、1時間のランニングから始まる。
午前中は3セットの練習試合。
コーチから「最後の1ポイントまでこだわれ」と韓国語で指示が飛ぶ。
8歳でテニスと出会った。
中学3年になって全日本ジュニアや全日本中学選手権大会で優勝。
コーチは「君ほどの実力があるなら、普通に進学するのではなく、人と変わった事をしてみたらどうだ」と言った。
スポーツ留学をした経験を持つ父の影響もあって、海外に目が向いた。
世界で活躍する錦織圭選手が拠点を置くアメリカも考えたが、韓国のアカデミーを見学して、「日本の近くにこんなに素晴らしい環境があるなんて。ここで世界をめざす」と決心した。
練習の課題などをテニスノートに毎日書き込んでいる。
だが、最初の1ヶ月、同じレベルのはずの韓国選手に全く勝てなかった。
「こんなに差があるのか。ここで生きていけるのだろうか」と不安が募った。
でも、「このまま日本に帰れば、何も進歩していないじゃないか、とバカにされる。それだけは嫌だ。落ち込んでいる場合じゃない。」
ノートには
「今が大事。一日を大切にしなければ、次のチャンスがなくなってしまうぞ」
「男なら逃げるな。立ち向かえ」
と自分を奮い立たせる言葉が並ぶ。
「自分も苦しいが、相手も苦しい。弱点を見つけて突いていけば失敗するはず」。
頭を使う大切さに気づいて、勝てるようになった。
実家には最低限の連絡しかしない。
日本では手放せなかった携帯のメールもほとんどしなくなった。
「今の僕にとって、テニスは仕事みたいなもの。一つを選ぶということは、他の何かを犠牲にするということだから」
プロフィールの特技の欄には「テニス」と書きたくない。
世界一になった時、堂々と記入したい。